最近、IMFが一部の富裕層にばかり富が集中するのはよくない、そうなると結局は国全体の経済は縮小していってしまうから、という内容の論文を出したりしているそうです。

IMFによらずとも、それはそうだよな、と思います。

たとえば一人の大金持ちが1,000億円を独り占めしているよりも、1万人が1,000万円を持っている方が、おそらく消費が活性化して、経済活動も好調になるでしょう。

持ったことがないから想像ですけれども、ひとりで1,000億円も持っていたところで、それを気持ちよく自分の使いたいことで使いきれるとも思えません。

個人が消費に使う額としては大きすぎますよね。

家だって豪邸を買ってもせいぜい数十億円ですし、プライベートジェットとかはりこんでもせいぜいそのくらいのようです。

それだって必要だから買う、というよりもお金をたくさん持っちゃったからこれくらいしか使い道ないから買うか、というくらいのものでしょう。

まあ想像ですけども。

それに比べたら、1,000万円くらいならすぐに使い道が思いつきますし、おそらく誰でもさくさくと使いきれるでしょう。

つい最近、アラブの王族が3兆9,000億円を寄付する、と言って話題になりましたが、以前にも世界一の投資家であるウォーレン・バフェットという人も6兆円ある資産を社会活動を行う財団に寄付する、と言っていたことがありました。

これほどまでのお金を持つと、これって個人で所有すべきじゃなくて、社会全体のために使えるお金にすべきだよな、という意識が働くようになるみたいです。

兆単位になるとまあそうなんだろうな、と思います。

国家予算レベルのお金ですものね。

それだけのお金を個人が所有しうることもあるのが現在の世界の構造です。

一方では破綻しかけのギリシャのように、年金のわずか1万数千円を引き出すのにも苦労している社会もあるわけです。

ギリシャよりももっと貧しい国は世界にはざらにあるのでしょうけど、話を広げすぎると共産主義的に収集がつかなくなるので丸めていきます。

 

少なくともひとつの国という単位においては、その中でほどほどに収入が均衡するようにした方がいいのではないかと思うのです。

日本でも最近は貧困率がどんどんあがっていて、6人にひとりは貧困にあえいでいる、という話があります。

所得の均衡が崩れると国全体の経済規模は縮小していく、という最初の話もありますが、その他にも、収入の差があまりに大きくなると付き合いがしづらくなっていきます。

人と人のつながりが薄まれば治安も悪化するだろうし、下手するとスラムだって発生しかねません。

実際、超格差社会であるアメリカはそうなっていて、貧困層は犯罪率が高く、親子で刑務所に服役経験がある、なんていう家庭もざらにあるそうです。

そういうふうな社会に日本になっていってほしいかというと、個人的にはご遠慮申し上げたい、と思います。

低賃金長時間労働のブラック企業の存在や派遣労働者への待遇格差など、日本では格差を是認するような風潮がどことなく漂っていますが、このあたりで方向転換を目指していかないと、どんどんと住みづらい社会になっていくのではないかと危惧を感じています。